人が何かを作ると言うことは,違いが出ると言うこと

はてなの記事を見て,ちょい思ったことがあったので書いてみました.
ちなみにその記事はこちら
そもそも君らに個性などない - 地下生活者の手遊び

トマトをひっくり返して描く,「ヘタ」を描かない.
僕は美術の成績がすこぶる悪かった人間なんで,その違いはよく分かりませんが,「何か問題があるの?」と思ってしまうのは僕だけでしょうか.
そこでゲルニカみたいな抽象画的なものを出されたら,「何かゴールを勘違いしてるんじゃないかな」と心配になりますが,少なくとも「トマトを描いている」のを「自分に個性があると勘違いしている」っていうのは何かおかしい気がします.
それに「勘違いしている」というのはあくまで主観であり,逆を言えばそう思わせるだけの特徴を出しているんじゃないですかね.

自分の世界に当てはめてみると,授業のTAをやっていて,レポートの採点をしていると思うわけですが,
みんな画一的なプログラムを組んで出してくるよりも,たとえ無駄なプロセスがあったとしても十人十色の方が良いと思うわけです.
そこにはハッキリと個性が表れています.
ものすごい自己主張な名前の関数名をつけてたりとか,見ている側からすれば「なんのこっちゃ」なものも多々ありますが,そこあるのは紛れもない「個性」でしょう.
「若いなぁ」とか思いますが,「個性を出そうと勘違いしてる」とは思いません.

結果は同じでも辿り着くまでの創意工夫がある.
たとえ自己満足であっても,自分で作った物を仕上げてきている.
それだけで最初は十分なんじゃないかと.

プログラムにしろ絵画にしろ,使う道具は違えど,人が何かを作り出すという点では同じはず.
みな同じ角度の同じデザインのトマトを描いても勿論良いわけですが,それって人としては逆に不自然だと思うわけです.
まぁそっちのほうが採点が楽っちゃ楽なんですが,なんの面白みもない.なんか機械を相手にしている気分なわけです.

最初はチグハグな自己満足の代物でも全然良いんです.
色々経験していくウチに「こうした方が楽かな?」「ここは無駄じゃないかな?」と思って,より完成された物に近づいていくわけです.
そこで創意工夫をして生み出していった物はとても大切な物だと思います.
その上でそれが楽しいと思ってくれればそれが理想だなぁと.

楽しい・面白いってのは,楽をしたいから工夫するってのに並ぶ,人間の成長の最高の原動力でしょう.

むしろ恐るるべきは他人のデッドコピーをすること,そしてそれに疑問を感じないこと,じゃないかって思います.
他人のをデッドコピーせず,自分の作った物を,もっと良くできないかなと思い始めれば,それだけで成長でしょう.